【画像】吉田茂を支えた後妻こりん(坂本喜代)とはどんな人物だったのか?

当ページのリンクには広告が含まれています。
こりん
  • URLをコピーしました!

ドラマ『アメリカに負けなかった男~バカヤロー総理 吉田茂~』の中で、松嶋菜々子さんが、吉田茂元首相を支えた「こりん(坂本喜代)」役を演じます。

吉田茂元首相の後妻となり、持ち前の頭の良さと気配りで吉田茂元首相を静かに支え続けた「こりん」さん。

「こりん」さんとは、一体どのような人物だったのでしょうか?

Sponsored Links
目次

「こりん(坂本喜代)」は実在するのか?

劇中で松嶋菜々子さん演じる「こりん」は、新橋の元芸者で吉田茂の後妻となった人物

大磯の別荘で共に生活をしながら、日本のトップへと上り詰めた吉田茂を、持ち前の頭の良さと気配りで静かに支え続けました。

吉田茂の生前も死後も、報道陣には門前払いを貫き、何も語らずに亡くなったそうです。

この「こりん」さんは実在した「小りん」さんという方で、本名を坂本喜代さんといい、2003年2月に96歳で大往生しています。

小りんさんは花柳流の名取としても活躍していた新橋の芸者で、吉田茂元首相の先妻が生きていた頃からの愛人でした。

吉田茂とこりん
画像右端がこりん(坂本喜代)
吉田茂とこりん
吉田茂とこりん(坂本喜代)

吉田茂の先妻・雪子について

先妻の雪子さんは、夫・吉田茂の芸者遊びを面白く思っておらず、「芸者の子は芸者が好きね」と夫を小馬鹿にするような発言をしたという記述も残っています。

実は、吉田茂は、板垣退助の側近の竹内綱と瀧子の五男ということになっていますが、妾(めかけ)の子だったのではないかとも言われています。

出生の記録などきちんとされていなかった時代ですから、真実は明らかではありません。

2歳の誕生日を迎える直前に、父・竹内綱の友人だった横浜の貿易商・吉田健三の養子となり、竹内姓から吉田姓に変わっています。

一方、雪子さんの父親は、大久保利通の次男・牧野伸顕(まきの のぶあき)という政界の実力者だったため、雪子さんのプライドは相当高かったのではないでしょうか?

吉田茂と妻・雪子
吉田茂と妻・雪子

吉田茂の三女・麻生和子さん(現在の麻生太郎副総理兼財務大臣の母)は自著『父 吉田茂』の中で、外交官の妻としての母・雪子を次のように記しています。

海外にいるときの母は家庭内とは一変、なかなかの社交家でした。

外国人の友人も多く、パーティーに呼んだり呼ばれたりで、外交官の妻の役割は十分に果たしていたように見えました。

ただ、本当に社交家だったかというと決して派手ということではなく、母は内気でしたから、むしろ努力してその役割を果たそうとしていた部分が大きかったのかも知れません。

こうすれば日本のためになる、ああすれば日本人が重きを置かれるようになるという気遣いが、日常になっていたように思います。

母の一生が幸せだったかというと、父とはあまりにも性格が違い過ぎましたから、決して幸せだったとは言えなかったのではと思っています。

それでも死ぬ前の母の胸の中に浮かんだのは、楽しかったことばかりだったのではないでしょうか。

週刊実話

吉田内閣を支え続けた陰の女性「こりん」

妻・雪子の他界後、第1次から5次まで7年2カ月の長期政権となる吉田内閣を支え続けた陰の女性が「こりん」さん。

吉田茂元首相の三女・麻生和子さん(現在の麻生太郎副総理兼財務大臣の母)は、自著『父 吉田茂』の中で、こりんさんとの関係を次のように記しています。

「戦争前に小りんに初めて会ったとき、私はまだ15、16歳で、小りんは私より7つ、8つ年上、23、24になっていたでしょうか。

小りんの踊りは花柳流で、私も同じ流派でしたからその点でも私もわりに親しくしていたのです。

小りんが父を好きだったのは早くから知っていましたし、父のほうも頭の回転が速くよく気がつく小りんを気に入っていました。

(首相在任中、座敷に小りんを呼ぶときは)あくまで私が呼んだということにしておかなくては、あとあとの押えができません。

で、私のほうから『小りんに来てもらうのはどうかしら』と父に言うと、『やっぱりおまえは頭がいいね』とまんざらでもない顔をしていたものです」

週刊実話

吉田茂は、若い頃から花柳界での四畳半遊びをよく楽しんでいたといいます。

11歳のとき貿易商だった養父が病死。

現在の価値に換算すると数十億円相当の遺産を、花柳界できれいに使い切ってしまったことは有名な話なのだそうです。

芸事は自分はやらぬが見るのは大好き、そのうえ女性には誰でも優しいフェミニストときたから、芸者衆からは大モテ。

しかし、そうした女性たちと次々に情を通じるタイプではなく、身持ちの堅い男でもあった。

そのうえで、雪子夫人とは性格もまるで違う、気の合う小りんだけは、“別物”ということだったようだ。

週刊実話

吉田茂は、昭和38年10月に政界を引退。

入籍こそしなかったものの「こりん」さんに妻の座を与え、神奈川県大磯の大邸宅に引きこもりました。

そこには、大物政治家や政治記者、外国からの要人などが訪れましたが、そうした中で「こりん」さんは巧みな接待をこなし、吉田の身の回りの世話にいそしんだといいます。

吉田茂は、古今亭志ん生の落語、アメリカのテレビドラマ『アンタッチャブル』などを楽しみとしていましたが、こうした楽しみの時間帯に来客があると、「あいにく不在でございます」と断るのも「こりん」さんの役目だったようです。

吉田茂を支えた後妻「こりん」に関するまとめ

ドラマ『アメリカに負けなかった男~バカヤロー総理 吉田茂~』で、松嶋菜々子さん演じる「こりん」さんは、新橋の元芸者の「坂本喜代」さんであることがわかりました。

また、吉田茂の先妻・雪子さんが生きていた頃からの愛人で、雪子さんが亡くなった後も、入籍こそしなかったものの吉田茂が亡くなるまで陰で支えた女性でした。

先妻の雪子さんも、外交官の妻として日本の発展の為に尽くされた方でしたが、「こりん」さんは雪子さんとは一味も二味も違った後妻だったようです。

Sponsored Links
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次